正親町雅子の基本情報
正親町 雅子(おおぎまち なおこ、享和3年11月1日(1803年12月14日) – 安政3年7月6日(1856年8月6日))は、江戸時代後期の女院(最後の女院)。父は正親町実光。母は四辻公亨の娘千栄子。子に孝明天皇のほか二皇子一皇女をもうけた。正親町家は閑院流洞院家の支流にあたる名門で、家格は羽林家。 ─ 「正親町雅子」『ウィキペディア日本語版』(2019-04-09 10:41:34 UTC更新版)より
正親町雅子は今上天皇の直系祖先です。本ページでは、正親町雅子から今上天皇に至るまでの系譜を掲載しています。「今上天皇の直系祖先まとめ(3000人以上)」とあわせてご覧ください。
生誕: 1803年12月14日
死没: 1856年8月6日
正親町雅子までの系譜
曽祖父: 正親町実連 |
祖父: 正親町公明 |
父: 正親町実光 |
正親町雅子 |
曾祖母: 広幡豊忠の娘 |
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曽祖父: – |
祖母: – |
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曾祖母: – |
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曽祖父: 四辻実長 |
祖父: 四辻公亨 |
母: 四辻千栄子 |
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曾祖母: – |
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曽祖父: – |
祖母: – |
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曾祖母: – |
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