広幡忠幸の基本情報
広幡 忠幸(ひろはた ただゆき)は、江戸時代前期の公卿。皇族として生まれ、のちに臣籍降下して広幡家を創設し、その初代当主となった。正式の姓名は、源 忠幸(みなもと の ただゆき)である。「忠」の字は兄・八条宮智忠親王より偏諱を賜ったものであり、やがて広幡家の通字となっていった。 ─ 「広幡忠幸」『ウィキペディア日本語版』(2019-04-04 08:27:00 UTC更新版)より
広幡忠幸は今上天皇の直系祖先です。本ページでは、広幡忠幸から今上天皇に至るまでの系譜を掲載しています。「今上天皇の直系祖先まとめ(3000人以上)」とあわせてご覧ください。
生誕: 1624年
死没: 1669年12月9日
広幡忠幸までの系譜
曽祖父: 正親町天皇 |
祖父: 誠仁親王 |
父: 八条宮智仁親王 |
広幡忠幸 |
曾祖母: 万里小路房子 |
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曽祖父: 勧修寺晴右 |
祖母: 勧修寺晴子 |
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曾祖母: 粟屋元子 |
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曽祖父: 京極高吉 |
祖父: 京極高知 |
母: 京極常子 |
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曾祖母: 京極マリア |
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曽祖父: – |
祖母: (毛利氏) |
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曾祖母: – |
広幡忠幸から今上天皇までの系譜
系譜1
●広幡忠幸 ─
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