正田文右衛門(5代)の基本情報
五代 正田 文右衛門(ごだい しょうだ ぶんえもん、1858年12月29日(安政5年11月25日) – 1941年(昭和16年))は、日本の政治家・群馬県邑楽郡館林町長、醤油醸造家、実業家。正田醤油取締役社長。族籍は群馬県平民。上皇后美智子は曽孫にあたる。 ─ 「正田文右衛門 (5代)」『ウィキペディア日本語版』(2019-05-01 18:28:53 UTC更新版)より
正田文右衛門(5代)は今上天皇の直系祖先です。本ページでは、正田文右衛門から今上天皇に至るまでの系譜を掲載しています。「今上天皇の直系祖先まとめ(3000人以上)」とあわせてご覧ください。
生誕: 1858年12月29日
死没: 1941年
正田文右衛門(5代)までの系譜
曽祖父: 正田文右衛門(2代) |
祖父: 正田文右衛門(3代) |
父: 正田文右衛門(4代) |
正田文右衛門(5代) |
曾祖母: – |
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曽祖父: – |
祖母: 正田らく |
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曾祖母: – |
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曽祖父: – |
祖父: – |
母: 正田よう |
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曾祖母: – |
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曽祖父: – |
祖母: – |
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曾祖母: – |
『人事興信録 第4版』に「母 しん 嘉永三、八」とある。しかし嘉永3年(1850年)生まれであるなら、1858年生まれの正田文右衛門(5代)の実母とするには無理がある。なお「よう」を母とする系図(新聞記事とみられる)もあるが、詳細は不明。
コメント
「正田文右衛門(5代)」のWikipediaの家族・親族の項を見ると、母すなわち「正田文右衛門(4代)」の妻は「正田よう」ではなく「しん」(1850年〜?)となっています。※上にも注記あり。
しかも興味深いことに、5代の母「しん」は長眞人(栃木)の二女とされています。そして5代の妻「あつ」(1862年〜?)はやはり長眞人(栃木)の四女となっています。
そのまま信用すれば、5代目文右衛門は母の12歳下の妹つまり叔母(三親等)を妻にしたことになります。その妻あつの娘がきぬでその孫が上皇后、曾孫は今上天皇ですから、いささか物議を醸します。