八条宮智仁親王の基本情報
八条宮智仁親王(はちじょうのみや としひとしんのう)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての皇族・歌人。八条宮(桂宮)家の初代。正親町天皇の孫にして、誠仁親王の第六皇子。母は勧修寺晴右の女・新上東門院(藤原晴子)。同母兄に後陽成天皇・興意法親王らがいる。幼称は六宮・胡佐麿(古佐麿)・員丸、通称は幸丸・友輔。一般には八条の皇子と呼ばれた。 ─ 「八条宮智仁親王」『ウィキペディア日本語版』(2019-05-10 20:46:20 UTC更新版)より
八条宮智仁親王は今上天皇の直系祖先です。本ページでは、八条宮智仁親王から今上天皇に至るまでの系譜を掲載しています。「今上天皇の直系祖先まとめ(3000人以上)」とあわせてご覧ください。
生誕: 1579年2月3日
死没: 1629年5月29日
八条宮智仁親王までの系譜
曽祖父: 後奈良天皇 |
祖父: 正親町天皇 |
父: 誠仁親王 |
八条宮智仁親王 |
曾祖母: 万里小路栄子 |
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曽祖父: 万里小路秀房 |
祖母: 万里小路房子 |
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曾祖母: – |
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曽祖父: 勧修寺尹豊 |
祖父: 勧修寺晴右 |
母: 勧修寺晴子 |
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曾祖母: 伊勢貞遠の娘 |
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曽祖父: 粟屋元隆 |
祖母: 粟屋元子 |
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曾祖母: – |
豊臣秀吉の猶子
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