徳川頼宣の基本情報
徳川 頼宣(とくがわ よりのぶ)は、徳川家康の10男で、紀州徳川家の祖。常陸国水戸藩、駿河国駿府藩を経て紀伊国和歌山藩の藩主となった。母は側室の養珠院(お万の方)である。8代将軍徳川吉宗の祖父にあたる。幼名は長福丸、元服に伴い頼将(よりのぶ)と名乗り、元和年中に頼信、さらに頼宣に表記を改める。初任官が常陸介であったため、子孫も代々常陸介に任官した。 ─ 「徳川頼宣」『ウィキペディア日本語版』(2019-03-27 20:13:12 UTC更新版)より
徳川頼宣は今上天皇の直系祖先です。本ページでは、徳川頼宣から今上天皇に至るまでの系譜を掲載しています。「今上天皇の直系祖先まとめ(3000人以上)」とあわせてご覧ください。
生誕: 1602年4月28日
死没: 1671年2月19日
徳川頼宣までの系譜
曽祖父: 松平清康 |
祖父: 松平広忠 |
父: 徳川家康 |
徳川頼宣 |
曾祖母: |
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曽祖父: 水野忠政 |
祖母: 於大の方 |
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曾祖母: 華陽院 |
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曽祖父: 正木時忠 |
祖父: 正木頼忠 |
母: お万(養珠院) |
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曾祖母: 糟谷能登守の娘 |
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曽祖父: – |
祖母: (諸説あり) |
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曾祖母: – |
徳川頼宣から今上天皇までの系譜
系譜1
●徳川頼宣 ┬
●(越智氏) ┘
●(越智氏) ┘
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