久我晴通の基本情報
久我 晴通(こが はるみち/はれみち)は、戦国時代・安土桃山時代の公卿。おもに後奈良天皇(105代)時代の朝廷に仕え、官位は正二位、官職は権大納言・右近衛大将まで昇った。「晴」の字は姉・慶寿院の夫でもある将軍・足利義晴からの偏諱と思われる。 ─ 「久我晴通」『ウィキペディア日本語版』(2019-03-09 07:50:22 UTC更新版)より
久我晴通は今上天皇の直系祖先です。本ページでは、久我晴通から今上天皇に至るまでの系譜を掲載しています。「今上天皇の直系祖先まとめ(3000人以上)」とあわせてご覧ください。
生誕: 1519年
死没: 1575年4月23日
久我晴通までの系譜
曽祖父: 近衛房嗣 |
祖父: 近衛政家 |
父: 近衛尚通 |
久我晴通 |
曾祖母: 播磨局 |
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曽祖父: 加治能登入道 |
祖母: 北小路俊子 |
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曾祖母: – |
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曽祖父: 徳大寺公有 |
祖父: 徳大寺実淳 |
母: 徳大寺維子 |
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曾祖母: 高倉永豊の娘 |
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曽祖父: – |
祖母: – |
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曾祖母: – |
久我晴通から今上天皇までの系譜
系譜1
系譜2
系譜3
●久我晴通 ─
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