勧修寺婧子の基本情報
勧修寺 婧子(かじゅうじ ただこ、安永9年11月6日(1780年12月1日) – 天保14年3月21日(1843年4月20日))は、光格天皇の典侍で、仁孝天皇の生母。 ─ 「勧修寺ただ子」『ウィキペディア日本語版』(2019-04-09 11:28:17 UTC更新版)より
勧修寺婧子は今上天皇の直系祖先です。本ページでは、勧修寺婧子から今上天皇に至るまでの系譜を掲載しています。「今上天皇の直系祖先まとめ(3000人以上)」とあわせてご覧ください。
生誕: 1780年12月1日
死没: 1843年4月20日
勧修寺婧子までの系譜
曽祖父: 勧修寺高顕 |
祖父: 勧修寺顕道 |
父: 勧修寺経逸 |
勧修寺婧子 |
曾祖母: – |
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曽祖父: 稲葉恒通 |
祖母: 稲葉恒通の娘 |
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曾祖母: (玉井氏?) |
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曽祖父: 池田仲央 |
祖父: 池田仲庸 |
母: 池田数計子 |
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曾祖母: (五月氏) |
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曽祖父: – |
祖母: – |
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曾祖母: – |
コメント
婧子の生母は池田数計子ではなく家女房です。(勧修寺家譜)
ウィキペディアの記事は正確ではありません、下記のサイトでそれぞれの家譜がデジタル化されています。
東京大学史料編纂所
https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/
ご指摘ありがとうございます。ウィキペディアの記事を確認したところ、今年5月に母が「家女房」に更新されていますね。
そうだとすると、蜂須賀正勝や池田輝政などが外れることになり、影響が大きくなりそうです。
こちらのサイト、各ページが複雑に絡み合っているので簡単には更新できないのですが、次回の全体更新時に反映できればと思います。