閑院宮典仁親王の基本情報
閑院宮典仁親王(かんいんのみや すけひとしんのう、享保18年2月17日(1733年4月1日) – 寛政6年7月6日(1794年8月1日))は、江戸時代の宮家当主で皇族。幼名は「寿宮」(ひさのみや)。世襲親王家、閑院宮第二代当主。光格天皇の父。閑院宮典仁親王の呼びかたは江戸期のもので、明治期以後は「慶光天皇」(きょうこうてんのう)または「慶光院」という。墓所は天皇号が追尊されたため「陵」を名乗っている。陵は廬山寺陵(京都市上京区)。 ─ 「閑院宮典仁親王」『ウィキペディア日本語版』(2019-05-19 17:45:18 UTC更新版)より
閑院宮典仁親王は今上天皇の直系祖先です。本ページでは、閑院宮典仁親王から今上天皇に至るまでの系譜を掲載しています。「今上天皇の直系祖先まとめ(3000人以上)」とあわせてご覧ください。
生誕: 1733年4月1日
死没: 1794年8月1日
閑院宮典仁親王までの系譜
曽祖父: 霊元天皇 |
祖父: 東山天皇 |
父: 閑院宮直仁親王 |
閑院宮典仁親王 |
曾祖母: 松木宗子 |
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曽祖父: 櫛笥隆賀 |
祖母: 櫛笥賀子 |
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曾祖母: 西洞院時成の娘 |
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曽祖父: – |
祖父: (伊藤氏) |
母: 左衛門佐讃岐 |
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曾祖母: – |
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曽祖父: – |
祖母: – |
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曾祖母: – |
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