広橋兼勝の基本情報
広橋 兼勝(ひろはし かねかつ)は、安土桃山時代、江戸時代初期の公家、歌人。藤原北家日野流。兄が本家筋の日野家を継いだことで兼勝が広橋家の嫡子(跡取り)となった。号は後是称院。一字名は貢。法名は快寂。官位は従一位・内大臣。勧修寺光豊とともに江戸幕府初代の武家伝奏(慶長8年(1603年) – 元和5年(1619年))。 ─ 「広橋兼勝」『ウィキペディア日本語版』(2019-03-27 16:21:09 UTC更新版)より
広橋兼勝は今上天皇の直系祖先です。本ページでは、広橋兼勝から今上天皇に至るまでの系譜を掲載しています。「今上天皇の直系祖先まとめ(3000人以上)」とあわせてご覧ください。
生誕: 1558年12月2日
死没: 1623年1月18日
広橋兼勝までの系譜
曽祖父: 広橋守光 |
祖父: 広橋兼秀 |
父: 広橋国光 |
広橋兼勝 |
曾祖母: 広橋綱光の娘 |
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曽祖父: 勧修寺政顕 |
祖母: 勧修寺政顕の娘 |
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曾祖母: – |
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曽祖父: 高倉永康 |
祖父: 高倉永家 |
母: 高倉永家の娘 |
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曾祖母: – |
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曽祖父: – |
祖母: – |
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曾祖母: – |
広橋兼勝から今上天皇までの系譜
系譜1
●広橋兼勝 ─
系譜2
●広橋兼勝 ─
系譜3
●広橋兼勝 ─
系譜4
●広橋兼勝 ─
系譜5
●広橋兼勝 ─
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