土岐頼貞の基本情報
土岐 頼貞(とき よりさだ)は、鎌倉時代から南北朝時代の武将、守護大名。歌人。土岐光定の七男。母は鎌倉幕府の執権北条貞時の娘。室町幕府の初代美濃守護。子に頼清、頼遠、長山頼基、頼兼、頼明など。 ─ 「土岐頼貞」『ウィキペディア日本語版』(2018-10-14 10:46:58 UTC更新版)より
土岐頼貞は今上天皇の直系祖先です。本ページでは、土岐頼貞から今上天皇に至るまでの系譜を掲載しています。「今上天皇の直系祖先まとめ(3000人以上)」とあわせてご覧ください。
生誕: 1271年
死没: 1339年4月1日
土岐頼貞までの系譜
曽祖父: 土岐光衡 |
祖父: 土岐光行 |
父: 土岐光定 |
土岐頼貞 |
曾祖母: – |
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曽祖父: 東胤頼 |
祖母: 東胤頼の娘 |
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曾祖母: – |
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曽祖父: – |
祖父: – |
母: 北条貞時の娘? |
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曾祖母: – |
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曽祖父: – |
祖母: – |
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曾祖母: – |
土岐頼貞から今上天皇までの系譜
系譜1
●土岐頼貞 ─
系譜2
●土岐頼貞 ─
コメント
◎植村家政ー政春ー政行ー女子(佐野察行室)ー中根正明ー※正房ーお蘭(島津斉宣側室)ー忠公ー千百子(島津久光室)ー忠義ー俔子(久邇宮邦彦王妃)ー良子女王(昭和天皇皇后)ー上皇ー今上陛下
◎植村家政ー政春ー女子(佐野直行室)ー察行ー中根正明ー※正房ーお蘭(島津斉宣側室)ー忠公ー千百子(島津久光室)ー忠義ー俔子(久邇宮邦彦王妃)ー良子女王(昭和天皇皇后)ー上皇ー今上陛下
◎植村家政ー女子(中根正勝室)ー正武ー正秀ー女子(中根正明室)ー※正房ーお蘭(島津斉宣側室)ー忠公ー千百子(島津久光室)ー忠義ー俔子(久邇宮邦彦王妃)ー良子女王(昭和天皇皇后)ー上皇ー今上陛下
※中根正房・・https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1082714/509 コマ512 天明9年1789致仕 時に48歳
中根正房ー女子(嶋津伊賀久金養女)とあります。この方がお蘭(島津斉宣側室)と考えられます。
年代的にも
・中根正房1742ー女子(島津伊賀久金養女)
・島津斉宣1774ー1841
・島津忠公1799ー1872
・千百子(島津久光室)1821ー1847
・島津忠義1840ー1897
ということで
●平将門ー春姫 (如春尼・平忠頼室)ー将恒ー武基ー武綱ー小机基家ー河崎重家ー渋谷重国ー女子(佐々木秀義室)ー義清ー泰清ー富田義泰ー師泰ー秀貞ー直秀ー重知ー助知ー知信(一白)ー佐野信吉ー久綱ー盛綱ー直行ー察行ー中根正明ー正房ーお蘭(島津斉宣側室)ー忠公ー千百子(島津久光室)ー忠義ー俔子(久邇宮邦彦王妃)ー良子女王(昭和天皇皇后)ー上皇ー今上陛下
●平将門ー春姫 (如春尼・平忠頼室)ー将恒ー武基ー武綱ー小机基家ー河崎重家ー渋谷重国ー光重ー入来院曽司定心ー明重ー岡本静重ー重知ー入来院重勝ー重門ー重頼ー重長ー重茂ー重豊ー重聡ー雪窓夫人(島津貴久継室)ー義久ー御平(島津義虎室)ー忠清ー女子(島津家久側室)ー光久ー綱久ー綱貴ー吉貴ー継豊ー重年ー重豪ー斉宣ー斉興ー久光ー忠義ー俔子(久邇宮邦彦王妃)ー良子女王(昭和天皇皇后)ー上皇ー今上陛下