西園寺掄子の基本情報
西園寺 掄子(さいおんじ りんし、建久3年(1192年)-建長3年3月11日(1251年4月3日))は、鎌倉時代前期の摂関・九条道家の正室。父は太政大臣西園寺公経。母は一条能保の娘・全子。九条教実・二条良実・一条実経・九条頼経・円実・慈源・法助・九条竴子・九条仁子・九条佺子を生む。教実・良実・実経は摂関に、頼経は将軍に、法助は仁和寺門跡に、竴子は後堀河天皇中宮に、仁子は近衛兼経正室に、佺子は四条天皇(竴子の子)の尚侍となった。 ─ 「西園寺倫子」『ウィキペディア日本語版』(2018-01-03 07:46:32 UTC更新版)より
西園寺掄子は今上天皇の直系祖先です。本ページでは、西園寺掄子から今上天皇に至るまでの系譜を掲載しています。「今上天皇の直系祖先まとめ(3000人以上)」とあわせてご覧ください。
生誕: 1192年
死没: 1251年4月3日
西園寺掄子までの系譜
曽祖父: 藤原公通 |
祖父: 藤原実宗 |
父: 西園寺公経 |
西園寺掄子 |
曾祖母: 藤原通基(大蔵卿)の娘 |
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曽祖父: 持明院基家 |
祖母: 持明院基家の娘 |
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曾祖母: 平頼盛の娘 |
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曽祖父: 藤原通重 |
祖父: 一条能保 |
母: 一条全子 |
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曾祖母: 徳大寺公能の娘 |
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曽祖父: 源義朝 |
祖母: 坊門姫 |
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曾祖母: 由良御前 |
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