西園寺寧子の基本情報
後伏見上皇の妻
西園寺公衡の娘
西園寺 寧子(さいおんじ ねいし/やすこ、正応5年(1292年) – 正平12年閏7月22日(1357年9月6日))は、鎌倉時代から南北朝時代の女性。後伏見上皇の女御であり、光厳天皇及び光明天皇の実母。院号は広義門院。北朝を存続させるため、事実上の治天の君の座に就き、天皇家の家督者として君臨した。女性で治天の君となったのも、皇室に出自せず治天の君となったのも、日本史上で広義門院西園寺寧子が唯一である。 ─ 「西園寺寧子」『ウィキペディア日本語版』(2019-04-04 13:03:55 UTC更新版)より
西園寺寧子は今上天皇の直系祖先です。本ページでは、西園寺寧子から今上天皇に至るまでの系譜を掲載しています。「今上天皇の直系祖先まとめ(3000人以上)」とあわせてご覧ください。
生誕: 1292年
死没: 1357年9月6日
西園寺寧子までの系譜
曽祖父: 西園寺公相 |
祖父: 西園寺実兼 |
父: 西園寺公衡 |
西園寺寧子 |
曾祖母: 八十前 |
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曽祖父: 中院通成 |
祖母: 中院顕子 |
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曾祖母: – |
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曽祖父: 藤原範保 |
祖父: 藤原光保 |
母: 藤原兼子 |
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曾祖母: – |
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曽祖父: – |
祖母: – |
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曾祖母: – |
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