勧修寺晴子の基本情報
勧修寺 晴子(かじゅうじ はるこ、天文22年(1553年) – 元和6年2月18日(1620年3月21日))は、安土桃山時代から江戸時代の女性。正親町天皇の第五皇子・誠仁親王の女房。後陽成天皇の生母。女院。院号は新上東門院。 ─ 「勧修寺晴子」『ウィキペディア日本語版』(2018-12-31 01:54:03 UTC更新版)より
勧修寺晴子は今上天皇の直系祖先です。本ページでは、勧修寺晴子から今上天皇に至るまでの系譜を掲載しています。「今上天皇の直系祖先まとめ(3000人以上)」とあわせてご覧ください。
生誕: 1553年
死没: 1620年3月21日
勧修寺晴子までの系譜
曽祖父: 勧修寺尚顕 |
祖父: 勧修寺尹豊 |
父: 勧修寺晴右 |
勧修寺晴子 |
曾祖母: 澄清の娘 |
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曽祖父: 伊勢貞遠 |
祖母: 伊勢貞遠の娘 |
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曾祖母: – |
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曽祖父: 笑鴎軒悦岑 |
祖父: 粟屋元隆 |
母: 粟屋元子 |
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曾祖母: – |
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曽祖父: – |
祖母: – |
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曾祖母: – |
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