庭田幸子の基本情報
庭田 幸子(にわた ゆきこ、元中7年(1390年) – 文安5年4月13日(1448年5月24日))は、室町時代の女性。初名は経子。女房名は今参局、二条局、南御方。院号は敷政門院。父は庭田経有、母は善照房(『尊卑分脈』では飛鳥井雅冬の娘とされるが、『看聞日記』ではその兄弟である飛鳥井雅家の娘であるとする記述がある)。後崇光院伏見宮貞成親王の仕女であるが、親王の『看聞日記』をみるかぎり他に親王の妻に当たる女性はなく、事実上の正室格であったとみられる。二男五女の母で、現在の皇室の先祖に当たる後花園天皇が第一皇子、旧皇族11宮家の先祖に当たる伏見宮貞常親王は第二皇子である(即ち男系女性としては皇室と旧皇族11宮家の最後の共通先祖に当たる)。 ─ 「庭田幸子」『ウィキペディア日本語版』(2018-11-17 16:17:15 UTC更新版)より
庭田幸子は今上天皇の直系祖先です。本ページでは、庭田幸子から今上天皇に至るまでの系譜を掲載しています。「今上天皇の直系祖先まとめ(3000人以上)」とあわせてご覧ください。
生誕: 1390年
死没: 1448年5月24日
庭田幸子までの系譜
曽祖父: 綾小路茂賢 |
祖父: 庭田重資 |
父: 庭田経有 |
庭田幸子 |
曾祖母: – |
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曽祖父: – |
祖母: – |
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曾祖母: – |
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曽祖父: 飛鳥井雅孝 |
祖父: 飛鳥井雅冬 |
母: 飛鳥井雅冬の娘 |
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曾祖母: – |
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曽祖父: – |
祖母: – |
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曾祖母: – |
『看聞日記』では飛鳥井雅冬の兄弟である飛鳥井雅家の娘であるとする記述がある
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