藤原俊成の基本情報
藤原 俊成(ふじわら の としなり)は、平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。名は有職読みで「しゅんぜい」とも読む。藤原北家御子左流、権中納言・藤原俊忠の子。はじめ勧修寺流・藤原顕頼の猶子となり顕広(あきひろ)を名乗ったが、後に実家の御子左家に戻り、俊成と改名した。法名は釈阿。最終官位は正三位・皇太后宮大夫。『千載和歌集』の撰者として知られる。 ─ 「藤原俊成」『ウィキペディア日本語版』(2018-08-09 00:19:09 UTC更新版)より
藤原俊成は今上天皇の直系祖先です。本ページでは、藤原俊成から今上天皇に至るまでの系譜を掲載しています。「今上天皇の直系祖先まとめ(3000人以上)」とあわせてご覧ください。
生誕: 1114年
死没: 1204年12月22日
藤原俊成までの系譜
曽祖父: 藤原長家 |
祖父: 藤原忠家 |
父: 藤原俊忠 |
藤原俊成 |
曾祖母: 源懿子 |
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曽祖父: – |
祖母: |
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曾祖母: – |
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曽祖父: 藤原兼経 |
祖父: 藤原敦家 |
母: 藤原敦家の娘 |
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曾祖母: 藤原隆家の娘 |
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曽祖父: 藤原顕綱 |
祖母: 藤原兼子 |
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曾祖母: 藤原隆経の娘 |
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