藤原殖子の基本情報
藤原 殖子(ふじわら の しょくし/たねこ、保元2年(1157年) – 安貞2年9月16日(1228年10月15日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。高倉天皇の後宮。後高倉院(守貞親王)と後鳥羽天皇の母。女院。坊門 殖子とも。父は従三位藤原(坊門)信隆。母は藤原休子(大蔵卿藤原(持明院)通基の女)。内大臣坊門信清は同母弟。院号は七条院(しちじょういん)。 ─ 「藤原殖子」『ウィキペディア日本語版』(2019-05-07 18:34:34 UTC更新版)より
藤原殖子は今上天皇の直系祖先です。本ページでは、藤原殖子から今上天皇に至るまでの系譜を掲載しています。「今上天皇の直系祖先まとめ(3000人以上)」とあわせてご覧ください。
生誕: 1157年
死没: 1228年10月15日
藤原殖子までの系譜
曽祖父: 藤原経忠 |
祖父: 藤原信輔 |
父: 藤原信隆 |
藤原殖子 |
曾祖母: 藤原実子 |
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曽祖父: 橘家光 |
祖母: 橘家光の娘 |
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曾祖母: – |
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曽祖父: 藤原基頼 |
祖父: 藤原通基(大蔵卿) |
母: 藤原通基(大蔵卿)の娘 |
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曾祖母: 藤原国仲の娘 |
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曽祖父: – |
祖母: – |
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曾祖母: – |
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