藤原忠通の基本情報
藤原 忠通(ふじわら の ただみち)は、平安時代後期から末期にかけての公卿・歌人。藤原北家、関白・藤原忠実の次男。官位は従一位・摂政 関白・太政大臣。通称は法性寺関白(ほっしょうじ かんぱく)。小倉百人一首では法性寺入道前関白太政大臣。 ─ 「藤原忠通」『ウィキペディア日本語版』(2019-05-15 07:26:21 UTC更新版)より
藤原忠通は今上天皇の直系祖先です。本ページでは、藤原忠通から今上天皇に至るまでの系譜を掲載しています。「今上天皇の直系祖先まとめ(3000人以上)」とあわせてご覧ください。
生誕: 1097年3月15日
死没: 1164年3月13日
藤原忠通までの系譜
曽祖父: 藤原師実 |
祖父: 藤原師通 |
父: 藤原忠実 |
藤原忠通 |
曾祖母: 源麗子 |
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曽祖父: 藤原俊家 |
祖母: 藤原全子 |
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曾祖母: – |
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曽祖父: 源師房 |
祖父: 源顕房 |
母: 源師子 |
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曾祖母: 藤原尊子 |
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曽祖父: 源隆俊 |
祖母: 源隆俊の娘 |
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曾祖母: – |
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