藤原賢子の基本情報
藤原 賢子(ふじわら の けんし/かたいこ、天喜4年(1057年) – 応徳元年9月22日(1084年10月24日))は、第72代白河天皇の中宮、第73代堀河天皇の国母。父は右大臣・源顕房、母は源隆俊の女・隆子。太政大臣・藤原師実の養女。応徳元年9月22日死去。28歳。その死をかなしんで天皇は数日食事をとらなかったという。贈太皇太后。名は「かたこ」ともよむ。 ─ 「藤原賢子」『ウィキペディア日本語版』(2019-05-18 14:20:01 UTC更新版)より
藤原賢子は今上天皇の直系祖先です。本ページでは、藤原賢子から今上天皇に至るまでの系譜を掲載しています。「今上天皇の直系祖先まとめ(3000人以上)」とあわせてご覧ください。
生誕: 1057年
死没: 1084年10月24日
藤原賢子までの系譜
曽祖父: 具平親王 |
祖父: 源師房 |
父: 源顕房 |
藤原賢子 |
曾祖母: 為平親王の娘 |
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曽祖父: 藤原道長 |
祖母: 藤原尊子 |
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曾祖母: 源明子 |
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曽祖父: 源隆国 |
祖父: 源隆俊 |
母: 源隆子 |
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曾祖母: 源経頼の娘 |
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曽祖父: – |
祖母: – |
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曾祖母: – |
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